観光前に知りたい黒部ダムの歴史、実は関西電力資本!?
富山県にある日本最大の高さのダム、黒部ダムについてご紹介
どもども、今回は富山県立山町にある黒部ダムについて紹介しようかなと思います
(;^ω^)調べたら富山県には黒部市があるのに、黒部ダムは黒部市じゃなくて立山町にあるんですね・・・
・大きさ
はい、このダムなんと高さ186m幅492mもあります 貯水量は東京ドーム120個分
日本テレビのタワーくらいの高さ全部水!
ちなみにいうと富山県で一番高い建造物です
('_')これで規模の大きさわかるかな
・着工年と費用
作り始めたのが1956年(昭和31年)なのですが総工費が513億円で作業員は延べ1000万人 消費者の物価からいうと現在の2000億くらいかかってる感じみたい
( ゚Д゚)作業員も多すぎる今の東京の総人口くらいあるしどんだけ出入りしてんだ!
・当時の建設状況
黒部ダム建設工事現場は奥地で、初期は建設材料を徒歩や馬やヘリコプターで輸送し、かなり大変でした。
なので、ダム予定地まで大町トンネル(現在の関電トンネル)を掘ることを決めましたが、トンネル内の破砕帯から大量の冷水が噴出し、またまた大変な難工事となりました。
→破砕帯・・岩盤が割り砕かれて多くの隙間を持つようになった地層
そのため他の水抜きトンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固めながら掘り進めるという当時最新鋭の技術を使用し、9ヶ月で破砕帯を突破しトンネルが貫通、工期が短縮されました。
・ダムの構造
元々円弧状のアーチダムを造る予定でしたが、1959年のマルパッセダム決壊事故を受け、両岸の基礎となる岩盤を調査すると、亀裂が見つかり予想以上に脆いことが分かりました。
なので設計変更により両側のみウイング状に変更となりました。
またアーチ部分は川下に向かって傾斜させ、水圧を下向きの力へと変化させることでダム下部の岩盤に支えさせる構造となっています
放水の勢いで川底が削れてしまうのを防ぐため、ダムから川へ放水する際には霧状にしています。
2006年時点での土砂堆積率は14%、ダム本体の耐久性と併せて考えると、これからも約250年はダムとして機能すると予想されてます。
・ダムが作られるまでの経緯やいきさつ
そもそもこのダム富山にある北陸電力ではなく関西電力によって作られました 513億円ってのは当時の関西電力の資本金の5倍です
じゃあ何で富山に作られたのかっていうと第二次世界大戦後に、関西地方は深刻な電力不足で復興の遅れと慢性的な計画停電があって結構ひどい状況にあったんですね
じゃあどうしようってことで、関西電力が大正時代から挑戦しては失敗をしていた黒部峡谷での水力発電以外に選択肢を見出すことができませんでした。
そして行くことが命がけだったその秘境でのダム建設案に、社長(当時)は「黒部しかない」「関西の消費電力を一気に賄える」「工期7年、遅れれば関西の電力は破綻する」と決断し臨みました。
完成当時、大阪府電力需要の50%(25万kW)を賄ったことでも知られてます
(; ・`д・´) 大阪府民は富山に足向けて寝られませんね・・
( ´∀` )まあ観光費用回収してるしwinwinなんですけども
・まとめ
なんといっても衝撃的なのはこのダムを造ることによって殉職者が171もいることですね それだけ困難な工事だったってことなんです
いま私たちが快適に平和に暮らせているのも、先人たちの命がけの努力の賜物ということを忘れないようにしたいですね
(^^)/以上、観光をより楽しむための黒部ダムの歴史でした